国際交流基金の日本語パートナーズ マレーシア5期としてペナン州に派遣されています、庄村 夢です。マレーシアの公立中等教育機関で、現地の日本語の先生のアシスタントとして活動をしています。
今回は、遅ればせながら私自身と、日本語パートナーズを紹介させていただきます。
独立行政法人国際交流基金が行っている事業で、2014年から2020年までに3000人がASEAN諸国に派遣される予定です(マレーシアでは2015年から開始)。主に中学・高校で、現地の日本語の先生をサポートしながら、生きた日本語や日本の文化を伝えるのが、主な活動です。私は、マレーシアを第一希望として応募し、マレーシア5期として2019年1月から活動を行ってきました。
日本語教師を目指そうと、大学卒業以来約18年勤務した会社を思い切って辞めたのが2017年。そののち日本語教師養成講座の専門校で勉強しているときに、日本語パートナーズを知りました。日本語教師の資格がなくても、先生の経験がなくても応募できるプログラムだと聞いて、思い切ってチャレンジしたのです。
マレーシアを選んだ理由ですが、今から10年以上前に、以前勤務していた会社の出張でクアラルンプールを訪れたことがあり、そのときに、とても興味深い国だと思ったからです。多様な言葉が飛び交い、多様な民族の人たちが行き来するのが、印象的でした。短期間の観光や出張でなく、いつか、時間をかけてマレーシアに滞在したいと思っていましたが、その夢がかなったというわけです。
日本語教師を目指したきっかけは、私の高校時代に遡ります。
今から25年ほど前になりますが、アメリカでホームステイをしながら、2年間現地の高校に通っていました。外の世界を見たいと日本を飛び出したところまでは良かったのですが、当初は英語がほとんど理解できず、現地の学校の授業に全くついていけませんでした。そのため、外国人に英語を教えるボランティアの先生を、学校が手配してくれました。
その先生は当時、小中学校をまわり、中南米からの移民の子どもたちに英語を教えていたようです。先生に英語の発音や文法を教わりながら「自分の母語をノンネイティブの人に教える仕事がある」ということを知りました。その後日本の高校に復学し、大学受験を迎えましたが、当時は日本語教師という仕事が今ほどメジャーではなく、日本語学を勉強できる大学も限られており、別の道に進むこととなりました。
昨今、日本では海外からの観光客だけでなく、留学生や技能実習生なども大勢来日し、日本に住んだり日本の会社で働くことを希望している人が増えています。日本では大阪に住んでいたのですが、実際に街中でも、海外の方々に話しかけられる機会があります。そのような中、忘れかけていた「日本語教師」という夢がふつふつとよみがえってきたのです。
もうすぐ日本語パートナーズの活動を終え、日本に帰国します。帰国後は、現在休学中の日本語教師養成講座を修了させ、日本語教師として就職活動をする予定です。日本語教師としてやってみたいことや、今の日本語教育の実態など、皆さんにお伝えしたいことはたくさんありますが、それはまた別の機会にご紹介させていただきますね。
庄村 夢
高校時代に2年間の米国留学、大学時代に8カ月のカナダ留学を経験し、日本語を母語としない人に日本語を教える「日本語教師」の仕事に興味を持つ。大学卒業後、約18年間、日系のメーカーに勤務。退社後、日本語教師養成講座420時間コースに通学。2018年に日本語教育能力検定試験に合格。2019年1月より9月末まで、国際交流基金 日本語パートナーズ マレーシア5期として、ペナン州の公立中等教育機関に派遣され、日本語クラスのアシスタントや日本文化紹介などの活動に従事。